キリストの聖体《A年》135 主をたたえよう 【解説】 詩編147は、詩編集の巻末に収められた「ハレルヤ詩編」の一つです。この詩編は、《七十人訳》と《ヴルガタ訳》 では、11節と12節を境にして前後、二つに分けられていて、これらでは、前半、11節までが詩編146、後半、12 節からが詩編147となっています。詩編147は、内容としては、三つに分けられ、いずれも、神をたたえる導入があ ります。全体は、捕囚からの帰国と関連づけられており、第一部2-6節(1節は「ハレルヤ」)は、天体に対する支配 に、第二部7-12節は雲と雨を支配することで豊作をもたらす神の恵みにあらわされ、13節からは、シオンに対する 戒めと罰が雪や霜にたとえられ、それを溶かす、「みことば」が神のいつくしみを示しています。最後は、神の「定めと 掟」がイスラエルに与えられますが、わたしたちにとって、これら、「みことば」「定めと掟」は、神の子キリストであるこ とはいうまでもありません。 さて、この「主をたたえよう」はすべての答唱句の中で、最も多くの詩編唱が歌われます。答唱句は、詩編136:1 〔131〕から取られています。この詩編は、グレゴリオ聖歌では復活徹夜祭に歌われます。八分の十二拍子の答唱 句の冒頭は、トランペットの響きで始まります。なお、『典礼聖歌』合本では、最初、テノールとバスは、H(シ)です が、『混声合唱のための 典礼聖歌』(カワイ出版 2000)では、四声すべてFis(ファ♯)-Dis(レ♯)-Fis(ファ♯)- H(シ)-Dis(レ♯)となっています。この、ユニゾンのほうが、力強い響きに聞こえると思います。 「主をたたえよう」では、バスがGis(ソ♯)からFis(ファ♯)へ下降することで、ことばを延ばす間に、和音も二の和音 から四の和音へと移り、さらに「主はいつくしみ」までE(ミ)からDis(レ♯)へと深まります。その後は、旋律も和音も 落ち着いており、神のいつくしみの深さと限りないあわれみを穏やかなこころでたたえながら、答唱句は終わります。 詩編唱は、冒頭、最高音のH(シ)から、力強く始まります。主に、詩編唱の1節全体で、一番重要なことばが多い 第三小節は、最も低いDis(レ♯)を用いることで、重厚さと、低い音への聴覚の集中を促しています。詩編唱の最後 は、主音Fis(ファ♯)で終わり、そのまま、答唱句へとつながります。 【祈りの注意】 答唱句の旋律は、主音:Fis(ファ♯)⇒旋律の最低音:Dis(レ♯)⇒主音:Fis(ファ♯)⇒旋律の最高音:H(シ)と動 きますから、この旋律の上昇の力強さを、全世界への呼びかけの強さへと結びつけましょう。八分の十二拍子のこの 曲は、八分の六拍子の曲と同様に、八分音符ではなく、付点四分音符を一拍として数えましょう。「主をたたえよう」 の「た」を、心持早めに歌い、続く八分音符への弾みとすることで、全体のテンポが引き締まります。 「たたえようー」と延ばす間、さらに cresc. を強めることで、呼びかけが、すべての国に広がるでしょう。このとき、 バスがGis(ソ♯)からFis(ファ♯)へ下降することで、和音が変わりますから、他の声部はしっかり呼びかけを続け、 バスは地球の裏側にまで、この呼びかけを深めるようにしましょう。その後、八分休符がありますが、この休符は、次 の「主」のアルシスを生かすためのものですから、きちんと、入れてください。 この、「主」がアルシスで、よく歌われると、このことばがよく生かされるばかりではなく、続く、滑らかな旋律の信仰 告白が、ふさわしい表現となります。最後の「深く」の四分音符が、必要以上に延ばされるのをよく耳にしますが、そ れでは、答唱句の重要な信仰告白のことばが、途中で途切れてしまい、答唱句全体のしまりもなくなります。ここ で、やや、 rit. するからかもしれませんが、この rit. は、ことばを生かすためのものですから、「その」に入ったら、す ぐにテンポを戻しましょう。あくまでも、「ふかくーその」は、八分音符三拍分の中であることを忘れないようにしてくだ さい。 最後は「そのあわれみは」くらいから徐々に rit. して、答唱句を締めくくります。「えいえん」で、八分音符を五拍延 ばす間、まず、dim. (だんだん弱く=いわゆるフェイドアウト)しますが、きちんと五拍分延ばしてください。その間、作 曲者も書いていますが「神様のことを」、神のいつくしみの深さもあわれみも永遠であることを、こころに刻み付けまし ょう。最後の「ん」は、「さーぃ」と同じように、「え」の終わりにそっと添えるように歌います。 第一朗読では「申命記」の荒れ野の旅を回顧を促す箇所が読まれます。荒れ野の旅は辛く、苦しいものでしたが、 それは、「人はパンだけで生きるのではなく、主の口から出るすべての言葉によって生きることを」知るためでした。 現代でも、わたしたちは、日々の糧を得るために、さまざまな労苦をしていますが、果たして、「天から降って来た生き たパン」「まことの食べ物、まことの飲み物」である方の、ことばを聴き、その「肉と血」をいただくために、どれだけ、心 血を注いでいるでしょうか。わたしたちのこの世の旅路に、労苦が多いのなら、なおさら、主のことば、キリストの体を いただかなければ、生きることはできないはずです。 この詩編を歌い、また、味わいながら、いつも、神のことばとキリストの体によって、生かされていることと、それをい ただくことができる恵みを感謝し、多くの人が、その恵みに預かることができるように、祈りたいものです。 【オルガン】 勇壮な、トランペットの響きから始まる答唱句は、祭日と言うこともあり、2’も加えて、やや、華やかにしてもよいか もしれません。ただし、答唱詩編であることも忘れないようにしましょう。すべて、プリンチパル系では強すぎますの で、会衆の人数に応じて、組み合わせを工夫しましょう。前奏では、祈りの注意でも書いたように、テンポを引き締め て弾き始めないと、会衆の祈りが、全く、答唱句の性格とはかけ離れたものとなってしまいます。そのためには、ま ず、オルガン奉仕者自ら、この答唱句を、どのように歌い、祈るかを、しっかりと身につける必要があるでしょう。 最後の答唱句は、第二朗読の後の、アレルヤ唱に続くような音色と音量にすることも可能でしょう。 《B年》 97 このパンを食べ この曲の【解説】と【祈りの注意】の一部については、主の晩さんの夕べのミサに書かれているものを、参照してくだ さい。 【祈りの注意】 第一朗読では、いけにえといけにえの血が祭壇と民にふりかけられることによって、神と神の民との契約が結ばれ たことが宣言されます。詩編唱は、この、契約が前提となる祈りです。しかし、新約の民は、動物のいけにえの血で はなく、「多くの人のために流される、新しい永遠の契約の血」である、キリストの血によって、神と結ばれます。答唱 句も詩編唱も、この、新しい契約の血、キリストの最後の晩さんの記念を黙想するものです。 【オルガン】 同じ、キリストの祭日の答唱詩編でも、《A年》とは異なる性格のものですから、前奏・伴奏も音色も、深く、詩編を黙 想するものにしましょう。基本的にはフルート系の8’+4’でよいでしょう。最後の答唱句は8’だけにして、答唱句の 緊張感を助けるものするとよいでしょう。答唱句では、同音が続くので、前奏の時、刻む粒をそろえること、音が動 き、 rit. や accel. するところでは、それをしっかりと歌い祈るようにしましょう。 《C年》 159 門よとびらを開け 【解説】 行列の詩編で、95の前半と似ている詩編100は、イスラエルの王・祭司としてのメシア(キリスト)について歌った 詩編です。詩編95から、この詩編100までは、神の王権をたたえる詩編と言われており、詩編100はその締めくく りの詩編に当たります。表題にあたる1節には「賛歌。感謝のために」(『新共同訳』)、「感謝祭の詩。」(フランシスコ 会訳)とあるように、感謝のいけにえの奉献の時に歌われたものと思われます。イエスが、この詩編の第1節を「ダビ デの子についての問答」(マタイ22:41-46)の箇所で、自分自身への預言として述べていることから、新約聖書 の時代から、教会は、栄光を受けたキリストに対する預言として、この詩編100を引用してきました(使徒2:32-3 6)。なお、元来、すなわち旧約的な解釈では、表題に「ダビデの詩」(この場合はダビデに対する詩)とあるように、ダ ビデ王朝における王の即位のために作られ、用いられたと考えられています。「メルキセデク」は創世記14:17-2 0に出てくる「いと高き神の祭司であったサレムの王」(14:18)で、サレムは現在のエルサレムと考えられます。 答唱句はテージスから雄大に始まり、音階の順次進行で最高音Des(レ♭)に上昇し、門が開き、永遠のとびらが あがる様子が示されています。 allarganndo(次第にゆっくりしながら大きくする=rit.+dim.)によって答唱句はい ったん「あがれ」で終止しますが、和音は、続く「栄光」で用いられる並行短調のf-moll(へ短調)の五度に当たるC (ド)-E(ミ)-G(ソ)で、門のとびらが開ききり、永遠のとびらがあがりきった様子と、その中を進もうとする栄光の王 (すなわちメシア=キリスト)の輝きが暗示されています。 その後、旋律はもう一度、最低音のF(ファ)から和音内の構成音As(ラ♭)を含め6度上昇し、「おう」で再び最高音 Des(レ♭)に至り、栄光を帯びた王の偉大さを象徴しています。詩編へと続く部分の終止は、f-moll(へ短調)から Es-dur(変ホ長調)に転調して、詩編唱の冒頭へと続きます。Lastのほうは「おうが」から、バスとテノールのオクタ ーヴが保持され壮大さを保ったまま終止します。 詩編唱は、主和音から始まり、旋律の、一小節目から二小節目、三小節目から四小節目、が同じ音で続き、各小 節の最後の音は、冒頭の音からいずれも二度上昇してゆき、四小節目の最後で、最高音C(ド)に力強く達して答唱 句へと戻ります。 【祈りの注意】 答唱句は雄大に歌われますが、決して、だらだらと歌ったり、乱暴に始めたりしないようにしましょう。表示の速度は 四分音符=100くらいとなっていますが、最初はそれよりやや早くてもよいかもしれません。冒頭、テージスから始 まりますから、最初の「門」の「も」(m)をシッカリと発音することが大切でしょうか。もちろんやりすぎはいけません。 旋律はいったん「門よとびらを」のC(ド)に下降しますが、いわば、「あがれ」の最高音Des(レ♭)と allarganndo に向かう上昇のための勢いを付けるようにも感じられます。この上行が力強さを持ちながらも、快いテンポで歌うよう にしましょう。このとき大切なことは、皆さんの前に、実際に、栄光の王が入る門・永遠の戸があり、その門の扉が実 際に開き、永遠の戸が上がり、いま、そこで、栄光の王が入る、その場に皆さんがいて、この答唱詩編を歌ってい る、ということです。つまり、絵に描いたようにとか、映画を見ている要にではなく、皆さんが、そのとき、その場にいる (現存している)のでなければ、この答唱句を、本当にふさわしく歌うことはできないのではないでしょうか。 なお、allarganndo の後は、テンポをやや、子戻しにして、さらに豊かに rit. すると、この答唱句の雄大さをふさわ しくあらわすことができるでしょう。特に最後の、答唱句、すなわち Last に入るときは、allarganndo rit. をたっぷり としてください。 詩編唱は第一朗読の、サレムの王、メルキセデクの供え物を思い起こして黙想されます。第一朗読にある、メルキ セデクの供え物「パンとぶどう酒」、福音朗読にある「パンを取り、賛美の祈りを唱え、裂いて弟子に渡して」という記 述は、いずれもミサに通じるものです。ちなみに、この創世記の朗読の部分の出来事は、ローマ典文と呼ばれる、第 一奉献文でも思い起こされ(アナムネーシス)ます。今日、朗読される一連の出来事は、単に、物質としてのパンとぶ どう酒(そこに現存するキリスト)をさすだけではなく、感謝の祭儀で記念される、受難・復活・昇天も記念されると言っ ても過言ではありません。それは、この詩編唱で歌われる、詩編100を見ても明らかでしょう。この詩編を黙想する 間、これまで、復活節の間に、記念してきた、キリストの過越し全体をもう一度、深く、心に刻み付けられるよう、準備 したいものです。 【オルガン】 答唱句は雄大な呼びかけ、信仰告白ですから、しっかりとした伴奏になるようなストップを用いたいものです。できる だけ深みのある、音色を探しましょう。とはいっても、音が大きければよいのではありません。それがふさわしけれ ば、手鍵盤にある16’を加えることも考えられます。 最後の答唱句では、力強い祈りを支えるために、8’や4’を重ねるのも工夫の一つです。各鍵盤にこれらが一つ、 プリンチパル系かフルート系のどちらかしかないような時には、他の鍵盤をコッペル(カップリング)してみることも、考 えられます。 短い答唱句で、allarganndo やrit. また、テンポの小戻しがありますので、オルガンの伴奏が、これをしっかり支 える必要があります。この、バランスのとり方を、まず、オルガン奉仕者は身につけるように、祈りを深めてください。 ジャンル別一覧
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